【石垣島】天然記念物や史跡を巡る大浜地区の魅力

石垣市大浜地区には古くから沢山の神話や伝説が語り継がれていて、今でもその痕跡を見ることが出来ます。国指定の天然記念物や史跡もありますが意外と知られていません。石垣の歴史を感じることができる石垣市大浜地区の魅力を紹介をします!

■国指定史跡《フルスト原遺跡》

フルスト原遺跡は、1978(昭和53)年3月3日に国指定の史跡となりました。
約12.3haの大きな指定面積に広がる高い石積みの遺構は、一見、沖縄本島を中心にみられる「グスク」と類似します。しかし、現在の研究では、いわゆる城郭としての機能よりも屋敷囲いの石垣としての要素が強いと言われます。その理由のひとつとして、海岸付近の低地にある集落遺跡と同じような生活用品(土器や中国産陶磁器など)が数多く出土し、武器にあたるものが見られないことなどが挙げられます。遺跡が存続した年代は、おおよそ14世紀後半~16世紀初頭で、15世紀に最盛期を迎えています。

石垣市教育部文化財課より

※google mapでフルスト原遺跡を目指すと辿り着けません!「南海自動車」さんの前が入口になりますので気をつけてください!

■八重山の英雄《オヤケアカハチ》

オヤケアカハチは、15世紀頃にいたとされる豪族の首領だったと言われています。
波照間島生まれで、身長は2~3メートルあったとされる巨人です。

正義感の強かったオヤケアカハチは、人頭税という税に苦しめられていた民衆を助ける為に、反乱を起こし琉球王国との間で戦争になりましたが、結果的に琉球王国が勝ち、オヤケアカハチは殺されてしまいました。これを『オヤケアカハチの乱』として語り継がれています。

■御嶽

沖縄本島同様、石垣島にも沢山の御嶽があります。
大浜地区には火・水・海・森などそれぞれの神様に対しての御嶽が数多くあります。
そのうちの一部を紹介します!

・潤水御嶽(ミズオン)

潤水御嶽(ミズオン)は、「明和の大津波」のときにフルスト原遺跡近くに移され、村の水元の神として信仰したとされています。

・黒石御嶽(クルセオン)

黒石御嶽(クルセオン)は、黒石村の御嶽として祀られたものです。
旧黒石村は、大浜幼稚園一帯の「グルシムリイ」と呼ばれる森林地帯のことです。
「明和の大津波」後にフルスト原に移されたが、大浜村再建時に再度元の場所に移されたようです。

■国指定の天然記念物《津波大石(ツナミウフイシ)》

津波大石は、大浜の崎原公園にある、長径12.8m、短径10.4m、高さ5.9mで、推定重量1,000トンの巨大なサンゴ石灰岩の岩塊です。この石は1771年の明和の大津波ではなく、先島津波と名付けられた約2000年前の津波によって打ち上げられたものと考えられているそうです。

しかし、最近の研究では、1771年の明和の大津波で流されてきた石がこの津波大石という新説がでていますので、今後の更なる研究結果が楽しみです!

■まとめ

石垣島の大浜地区には石垣全体の歴史を感じることができる場所が沢山あります。ほとんどの方は、大浜地区を素通りすると思いますが次回は寄り道して石垣の史跡や遺跡を見て歴史を勉強してみてはいかがでしょうか?